翌朝。馬車で目を覚ました私が目にしたのは一面真っ白に染まる世界だった。辺り一面に霧が立ち込め、なんとも不思議な空間を演出している。 「うわ……これは凄いわね……」 十メートルくらいまでなら見えるが、そこから先は全く見えない。まだ眠っている他の面々を起こさないように起きる。 「ようフェルよく寝れたか?」 焚き火の番をしていたダドリーさんが片手を上げて挨拶をしてきた。同じく片手を上げて返しながら近づく。 「おはようございます。凄い霧ですね大丈夫でしょうか?」 「ああ。まぁたぶん大丈夫だろう。もう少し日が出始めたら薄まるさ」 「そうですか。では朝ごはんの用意ちゃちゃっとしてしまいますね」 「おう頼むわ。何かしとくことあるか?」 「なら火力を上げておいてください。体が温まるように簡単にスープ作りますから」 「暖かい食い物はありがたいが干し肉スープだよな?」 「ええ。それ以外に短時間で用意できるものがないですからね」 「だよな〜……」 ダドリーさんがうんざりした顔で薪を火の中に投げ入れる。まぁ味気ない上に連続して出しているから仕方ない。だけども朝からそんな凝ったものを作れといわれても無理なものは無理だ。 まだ眠っている皆を起こさないように注意しながら水と干し肉を取り、鍋に水を張って火にかける。 「森を抜けるのにどれくらいかかるんですか?」 鍋を掻き混ぜながら、すでにパンを齧ってるダドリーさんに聞いてみる。 「何事もなければ日が沈むまでに抜けることが出来るはずだ」 「結構早く抜けることができるんですね。それでは森の中で気をつけないといけないことは何かありますか?」 「常に周りに気を配っとけ。それさえできてれば問題ない。それよりもランから目を離さないでほしい……」 「あ〜……分かりました」 確かにランなら一人でふらふらと森の中に入っていきそうで怖い。 そんな彼のお守りをするのも私の役目だ。 「ああ頼んだぞ。そろそろ他の奴らを起こしてこよう」 霧の向こうにわずかに見え始めた日の光を見て、ダドリーさんが皆を起こしに行く。 ちょうどこちらのスープも煮え立ち、干し肉も食べられるくらいの柔らかさになっているだろう。 「おはよう凄いわね〜これ」 「おはようございます。ダドリーさんは大丈夫だとおっしゃってましたけどミェルさんはどう思われますか?」 「ん〜? そうねこれくらいなら問題ないわ。もっと悪い条件で魔物の討伐とかやったことあるしね」 ミェルさんが霧の向こうを眺めながら心強く答えてくれる。 「そうですか。すぐに食事の用意をするのでその間に顔でも洗ってくるといいですよ」 「ええ。そうさせてもらうね」 ミェルさんが去ったあと視線を向けていた霧の向こうを見ようと目を細めてみるがどうしても見えない。 なにをどうしたら見えるようになるのか全くの謎だ。 「それじゃ森に入るぞ。霧はまだ晴れず、見通しが悪い周囲の警戒を怠るなよ! それじゃ出発!」 ダドリーさんの合図で馬を歩かせる。今手綱を握っているのは私だ。いつも手綱を握る大人組は馬車の周囲に展開して警戒に当たっている。ランは私の隣で、ロロは馬車の後ろからそれぞれ警戒に当たっている。 ちなみにランの腰には細いけど丈夫な紐が付けられており、文字通りランの手綱も私が握っている。 「僕さ〜この扱いはあんまりだと思うんだ〜」 「そういうならそのうずうずして今にも飛び出しそうな体の震えを止めてから言ってくれないかしら」 「これはただ単に森の奥まで警戒しようとして背伸びして無理な態勢してるからだよ〜」 「ただの好奇心をよくもまぁそんな風に言えたものね。あと馬車の上で背伸びしない危ないでしょ!」 ランの紐を引っ張って御者台に無理矢理座らせる。いつ鉄砲玉のように飛び出していくか分からないため当然の処置だ。 「おかしいわ森にいるはずの精霊を感じない……」 「……私もなにも感じない」 「シルティさんロロちゃんそれはどういう意味なの?」 ヒマしてるランが話し相手が出来たと勢い勇んでシスティさんとロロに話しかける。 「森は普段から精霊が集まってる場所なの。私たち精霊使いだったらその精霊たちを感じるはずなんだけど今は全く感じないのよ」 「おかしいことなの?」 ことりと首を傾げるランにシスティさんの眼が少し険しくなる。 「ラン、ちゃんと教えたはずよ。私たちはエルフ。あなたたちより精霊を知覚できるはずの私たちでさえ認識できないなんて異常だわ」 精霊はどこにでも存在する。森にも、海にも、街にも。またシスティさんの言うとおりロロたちエルフ族は私たち人族よりも精霊を感知できる。その理由は諸説あるらしいが、一番有力なのはエルフ族の先祖が精霊だったかららしい。 システィさんの言うとおり精霊はおろか他の生き物すら感じられないほど森の中は不気味なほど静まり返っており、聞こえるのは私たちが話す声と足音、車輪の廻る音だけ。自然と口数も少なくなっていき、最後には全員口を閉ざしてしまった。 緊張感が漂うなかどれだけの時間を歩き続けたのか、時間を知ろうと上を見上げても霧と木々のせいで太陽の位置が隠れてしまっていて分からない。 もう昼になってしまったのか、それともまだ一時間しか経っていないのか、ちゃんと真っ直ぐ進んでいるのか、もしかしたら森の中をぐるぐる廻っているのではないかという、考えても仕方ないと分かっていても底知れぬ不安から思考がループしてしまっている。 「ダドリーさんこの豊穣の森は普段からここまで霧が立ち込めてるんですか?」 「いやたまにならあると聞くが、ここまでずっと霧が立ち込めているのは聞いたことがない。なにかが森で起きてるのかもしれない。少し危ないが馬車で一気に突っ切ってしまおう」 「分かりました」 御者台に乗ってくるダドリーさんに手綱を渡しつつ、後ろの荷台にランと一緒に移る。 「しっかり捕まっていろよ。それじゃ行くぞ!」 ダドリーさんが手綱を一つ叩き馬を走らせる。馬も今までずっと歩かされて鬱憤が溜まってたのか勢いよく走り出す。 「うわ!」 「きゃ!」 思ったよりも衝撃が強く荷台に響き、ちょっとした障害物を乗り越えるだけでもかなり揺れる。その揺れに戸惑うランとロロを余裕のある私たちでフォローしつつ、馬車は更にその速度を上げていく。 しばらく走ったところでミェルさんが森の一角を見つめてながら叫んだ。 「ダドリーもっと速度上げて! なんかいるわ!」 「おう!」 手綱をもう一つ打ち付け、更に速度が上がり飛ぶように景色が流れていく。 「ミェルさんなにが見えたんです?」 「はっきりと見えたわけじゃないわ。でも嫌な予感がしたのよ。この霧もあるからできるだけ早くここを離れた方がいいそんな気がするの」 「なにがいたんでしょう……」 「さぁね。でも良くないものだと感じたわ」 ミェルさんは影が見えた一角を凝視したままだったが、馬車はその後何事もなく森を抜けた。
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